私の人生をより彩り豊かにしたアメリカでのボランティアとオーストラリア留学

留学を決めるまでの話

私は大学に入る前まで、人生で1度も海外へ行った事がありませんでした。

もともと語学としての英語学習は大好きで特に力を入れて勉強していましたが、幼いころから外国人が怖くて、母が子供英会話教室に連れて行っても泣いて先生に近づく事が出来ないほど、外国嫌いでした。

そんな私が、留学をしたいと思うようになったきっかけは、大学内の英会話スペースで留学経験を持つ先輩達から話を聞いた事です。

私は彼女たちの英語の流暢さはもちろん、彼女たちが持つ海外への関心の強さに驚きました。

彼女達は今まで気にもかけていなかった社会の問題や、文化、世界で起こった面白い事、楽しいこと、自分自身が海外で経験した事等を生き生きと語っていて、まるで私とは別世界に住んでいる人のように感じられました。

その時私は純粋に、「視野が広いっていうのは、ただ勉強とか仕事に活かせるだけでなくて、日々の生活がもっと楽しくなるという事なのかもしれない」と思いました。

世界を知れば、もっと色々な事が私にとって興味がある事に変わって、そしたら人生がもっと楽しく豊かになるのではないかと。

さらに、大学で英米文学を専攻しようと決心した時、なにがなんでも大学の4年間で胸を張って英米文学科卒だといえるような世界どこでも通用をする英語力をつけるぞと心に決めていました。

ただ英語力をつけるだけなら日本でもできると思っていましたが、私が尊敬する先輩方のような広い視野と、私が目標とするどこでも通用する英語力を身につけるには、自ら外に出て世界各国から来た人たちと共に勉強し、生活する事が1番だと思い、留学を決意しました。

人生初海外

留学を決心した私は、まず初めに海外へ行ってみる事から始めようと思い、3週間のアメリカボランティアプログラムに参加しました。

この時アメリカボランティアを選んだ理由は、英語を学ぶ事よりも、海外で生活するとはどういう事なのかを知るという目的であったことです。

私が参加したボランティアでは、ある一つの福祉施設に日本人は2人だけが派遣されるため、完全異国の文化に浸る事が出来る点、学校へ行かない分費用が安く、さらに大学から奨学金が出る点、世界をリードする大国アメリカのプラスな面だけでなく、負の部分も学ぶ事ができるという点で、最適なプログラムであると感じました。

滞在中は、利用者の方に食事を運んだり、話しかける事が主な活動で、さらにその合間にアメリカ人インターン生と一緒に福祉について理解を深めたり、ディスカッションをする機会が多くありました。

そこで最も印象的だったのは、質問を求められたときには質問をするのがアメリカでの礼儀だと施設のスタッフに教えられた事です。

半分も理解できないディスカッションや、初めて会う人に対して質問を考えるというのは想像以上に大変でした。

この3週間で私は、海外や外人に対する怖いという気持ちを克服する事ができ、昼間に1人で街歩きができるまでになりました。

さらに長期留学すれば得られるであろう事の大きさを想像してワクワクすると同時に、留学の過酷さと辛さをリアルに実感する事で、正直長期留学に行きたくないという気持ちが少し芽生えてしまいました。

なぜオーストラリアか。なぜロックハンプトンか。

アメリカでのボランティアで長期留学に対して少し揺らぎが出てしまったものの、後悔したくなかったので、大学の交換留学に出願する事を決めました。

そこで選んだ所が、オーストラリアのロックハンプトンというマイナー都市。

まずなぜオーストラリアを選んだのかというと、オーストラリアに対して知識が全くなかった事。

あらゆる英語の発音を理解できるようになりたいという気持ちから、日本ではあまり聞かないオーストラリア英語に触れたいという事。

さらに移民の国であるため多様な文化・英語にも触れられる事。

気候と国民性があなたに合ってそうと勧められた事など私が留学に求める沢山の事がマッチしたからです。

ロックハンプトンを選んだのは、折角長期間滞在するのであれば、有名な観光地よりも、真のその国らしさに触れたいと思ったからです。

田舎であれば、オーストラリアの文化・英語が色濃く存在しています。

また、留学生が多い大都市と異なり、オーストラリアに長期在住している移民の方々と知り合う事ができます。

このように、また一つの確立されたオーストラリア文化という面、様々な文化が混じった移民の国オーストラリアとしての面、その両方から、オーストラリアを知る事ができる良い環境であると考えました。

滞在中の学習

私は最初の1学期間語学学校に通い、大学進学のための準備をし、2学期目に大学の正規科目を4科目履修しました。

滞在方法は大学寮で、現地の大学生たちとともに生活しました。

勉強に関して特に忙しかったのは語学学校の方でした。

私が取っていたのはEAP(English for Academic Purpose)というコースで、大学進学に必要なスキルや難易度の高い語彙を学ぶ授業でした。

毎日授業が昼過ぎまであるので、毎日夕方から夜にかけて翌日の授業のためにエッセイを書き、テストの準備をする毎日でした。

語学学校に行って良かった事は、英語のエッセイの書き方を細かく教えてもらえた事です。

英文の添削だけではなく、エッセイを書く際の序論、本論、結論それぞれの書き方、参考文献の書き方、引用の仕方等、時間をかけて丁寧に学習しました。

クラスは10名以下の少人数のクラスで、インド、パプアニューギニア、イラク、アジア諸国等国籍は様々で、ディスカッションでは180度違う意見をぶつけられたり、又同じ英語学習をしていてもそれぞれが違う点でつまずくので、毎日笑いが絶えませんでした。

一方大学の授業は課題がある時、無い時で忙しさに波がありました。

課題自体は、語学学校よりも何倍も難しい事を求められましたが、次の授業まで1週間あるので、じっくり時間をかけて取り組む事ができました。

文学の授業は読む資料が難しくなかなか理解できず苦しみ、福祉の授業では、ネイティブに混じってカウンセラーが求められるようなコミュニケーションスキルを毎週練習して習得したり、グループワークでは文化の違いでメンバーがイライラし始めたりと、現地の大学ならではの苦悩や学びが多く感じられました。

滞在中の挑戦

勉強の他にも多くの新しいことに挑戦しました。一つは旅行です。

学校の3週間の休暇を利用して、人生で初めて一人でオーストラリアの5都市をバックパッカーとして巡りました。

普段は比較的周囲の友人達に助けを求めながら生活していたので、改めて一人になると不安でいっぱいでしたが、途中で多くの人や景色に出会い、この旅行を通してオーストラリアにさらに愛着がわいたような気がしました。

他にも大学の友人と旅行をしましたが、日本人以外と一緒に旅行するのは初めてで、本当に良い思い出の一つになりました。

二つ目は、パフォーマンス活動です。現地に日本人が何人かいた事を利用して彼らと日本の踊りや歌を披露するイベントを開催しました。

ロックハンプトンには娯楽が殆どないので、誰かが面白い事を始めると、驚くほど人が集まります。

今まで日本に興味が無かった人々が日本の歌を口ずさむようになったのを見て、留学は、私が外国で影響を受けるのみならず、外国の人に影響を与える事もできるのかと嬉しく思った事を覚えています。

そしてこのパフォーマンスを見て日本に興味を持ち、私が帰国した後の1~2年間で、5人程の友人が、日本を訪れてくれ、再会する事ができました。

印象に残っている友人

滞在中、本当に多くの国の文化を持つ学生と知り合いました。国籍数にして、20~30カ国くらいでしょうか。

その多くの友人達の中で、1番多くの時間を一緒に過ごし、印象に残っているのは中国から来た、私と同じ交換留学生の女の子でした。

彼女は中国の伝統や家族の繋がりを重んじる家庭で育ち、中国の事以外なにも知らないような、少し変わった子でした。

私の隣の部屋に住んでいた事から、毎日のように助けを求められたり、私が友人の輪に連れていってあげても馴染めず、また私がその女の子を連れて来る事で別の友人に嫌な顔をされたりと、出会った当初のその子との付き合い方には困らせられました。

そこで、私たちは毎日日本と中国とオーストラリアそれぞれの違いについて話しました。話しているうちに、彼女が人と違うのは、彼女が生きてきた環境・文化が大きく異なりすぎているせいである事に気がつかされました。

考えてみれば、私も初めて海外に行った時は、何度かホストファミリーを困らせていたことを思い出しました。今彼女はその時の私と同じなのだと、またそのような慣れない環境であっても人に上手く頼ろう、話しかけようとする彼女を見て尊敬の念を抱くようになりました。

それから私は少しずつ彼女との接し方を覚え、尊敬を持って彼女に中国の事を沢山聞くようになりました。

一方で彼女も少しずつオーストラリアでの習慣を覚え、友人の輪にも馴染めるようになりました。

私たちは、大親友と言われる程の仲になり、帰国直前に、別の中国人の友人からまで、「彼女を見捨てず、仲良くしてくれてありがとう。二人みたいな友情が増えれば、中国ももう少し良い国になる」と感謝されました。

この言葉は大袈裟ですが、でも話し合う事で互いを分かり合う事は可能なのだと、気がついた瞬間でした。

留学後の英語力

留学を通して最も力になったと思う事は、英語が自分の言語であると感じられるようになった事です。

留学前は、相手の話を100%理解しよう、又は正確に話をしようというのに必死で、一つの学問としてでしか英語を使用していませんでした。

そのため、本を音読するような棒読みの英語を話していたと今振り返ってみて感じます。

それが、留学後には、気持ちを伝えるための道具であるという意識がより強く芽生え、自分の言葉や発音の強弱で感情を伝えることができるようになりました。もちろんネイティブではないので、知らない言葉や理解できないフレーズはまだまだありますが、そんな中でも途切れることなく会話を楽しめるようになり、もっと会話を楽しむために語彙を学習し直してより高めたいという意識へと繋がりました。

さらに、英語で考える癖がついたので、ディスカッション等でも、思った事を思ったと同時に発言できる力が身に付きました。

大学でのアカデミックな内容の学習が主で試験英語を学習していなかったので、TOEICの点数の伸びはあまり期待していなかったのですが、帰国直後の試験で100点ほど伸ばすことができ、大学入学時の目標点を超える事ができました。

特に試験英語のリスニングは、留学以前と比較してかなりゆっくり話されているように聞こえました。

留学を通して得た事

留学を通して得たことは沢山ありますが、その中で最も現在の自分に影響を与えているのは、興味の幅が広がったことです。

留学以前と比べて、世の中の出来事に自然と意識が向くようになりました。というのは、留学中に様々な友人たちと、それぞれの国の話をして、それらが自分の生活にも関わっているという事を実感できたことが大きかったと今になって感じています。

テレビや授業でその日学んだ事を、留学中であった友人、または帰国後に出合った友人との話の話題に挙げてみたり、映画等の娯楽も、海外にいる友人と楽しみを共有したいという思いから、色々な国のものを手に取るようになりました。

またもう一つ、留学で得た事の中で、留学前は特に期待していなかった、大きな成果がありました。それは、偏見や差別に対して少し神経質になったことです。

オーストラリアでの生活を始めてすぐに、自分が宗教や人種といった事に対して無意識に偏見を持っていた事、意図的でなくても差別的な言葉を言っていた事に気づかされました。

幸いなことに、友人たちがそれは偏見だとか、そのような言葉は慎んだ方がいいという事を頻繁に注意してくれ、彼らと過ごす内に自然と同じ意識を持てるようになりました。

また、海外でコミュニケーションを取るには英語力だけでなく、多様な価値観を尊重する事や、差別的でない言葉選びも大切な事の一部なのだと意識を払えるようになりました。

最後に

私にとって留学は、好きだった英語をより自信を持って得意だと言えるように高める事、また単純に興味の幅を広げたいという事この2つの思いで臨みました。

この2つの点において、留学はとても意義のあるものだったと感じています。

むしろもっと早くから、海外に出ていれば、もっと早くから色々な事に興味を持てていたのかなと、思うほどです。

留学の経験が必ずしも、受験や就職、海外移住といった人生の一大イベントに影響を与えるわけではありませんが、私の人生をより彩り豊かにしたことには間違いないと思っています。

そして中国人の友人の影響を受け、中国語を学び始めました。

英語がある程度話せるようになった後みたいに、使える言語が増えるとさらに世界を見る目が変わるのではないかとワクワクしながら勉強しています。

これも、留学していなければ、生まれなかった興味であると思います。

なので、英語力だけでなく、このように興味の幅を広げたい、グローバルな視野を得たいという方には、特に留学をお勧めしたいです。